たろうです。
昨日の背景の続き、、、って訳じゃないけど、今の自分に至るまでの音楽遍歴を思い返してみると、いくつかのターニングポイント、選択肢があって今に至るんだなぁ〜とふと思ったので、なんとなくですが振り返ってみようかなと思います。
(と、ゴールどころかスタートさえも全く見えてないけど書き始める。)
どこから語れば良いのだろう。
音楽を(意識して)聴き始めたのは小学校6年生の冬と、割と遅咲きかな?
クリスマスプレゼントにCDラジカセ(今は亡きaiwa)を買ってもらい、TSUTAYAでレンタル落ちの、
ポルノグラフィティ / ヴォイス
を購入。
どちらかと言うと遅咲きだったのもあって、特に好きなアーティストもおらず、テレビCMやドラマの主題歌で人気のあった、聴き馴染みのあるCDをとりあえず購入。
(今は2アーティストとも特別好きという訳でも無いけど、思い入れの深い2曲)
そこからが早かった。
幼稚園時からの幼馴染(♂)の影響でラジオを聴くようになり、そこで色々な音楽に出会う。主にJ-POP、ヒップホップ等々。
(知ってる人は知っているラジオ番組、やまだひさしのラジアンリミテッド。この番組をきっかけにラジオっ子になり、音楽的にも影響を受け、人生を変えたのはまた別の機会に) (多分しない) (というかそれ込みのこの背景)
自転車で30分掛けてTSUTAYAに通い、レンタル落ちCDや中古のアルバムにお小遣いを使う生活が始まった。
そして、弟の友人から弟が借りていたゲーム、
"激突トマラルク"
が、たろう少年の人生を変えることになった。
(いやホントこれ神ゲー)
L'Arc〜en〜Cielとのコラボで話題になった(はず)ゲームで、メンバーを操作したり、曲中のBGMがL'Arc〜en〜Cielだったりと、そりゃ好きにもなりますよね。
このゲームと出会っていなければ、今の自分は存在してないと言っても過言では無いと今でも思う。
たろうが死んだら、このゲームを棺桶に入れて欲しい。
たろう今持ってないけど。
それから、中古CDショップでL'Arc〜en〜CielやGLAYのアルバムを買い、聴く日々が続く。
中学1年生の秋、2002年11月
Twitter IDの由来(というかまんま)でもある、
L'Arc〜en〜Cielのベーシストtetsuyaのソロアルバム、
TETSU69 / Suite November が発売に。
(いやカッコ良すぎるでしょうが)
当時、同じ塾に通っていた幼馴染(♀)が読んでいた音楽雑誌(今は亡きザッピィ)でその存在を知り、すぐさまCDショップに駆け込む。
初めて新品で発売日に買ったCDだ。
音楽に対する知識も浅い中、なんとなくだが、tetsuyaの作るポップで耳に残る楽曲が好きだと気付き、迷わず購入。
その中でも、アルバムにも収録されているシングル"蜃気楼"が、
ジャケット(アー写)から曲から、どちゃどちゃに好みだった。
もうCDが擦り切れる程聴いた。
人生で一番聴いたアルバムだと言い切れる。
この背景の一番最初の記事にもtetsuyaの話があるように、
tetsuyaはたろうの原点であり、頂点
で、音楽家としても、男・人間としての憧れであった。
まぁ、とは言っても中学生。
そしてラルクのベーシストのソロ活動。
周りとはラルクでさえ話が合うはずもないのだ。
当時は、ORANGE RANGEや、KICK THE CAN CREW、RIP SLYME、SOUL'd OUT、Dragon Ash、麻波25など、ミクスチャーロック(なんて言葉は当時知らなかった)・ラップ・ヒップホップが人気を博していた。気がする。
(敢えての麻波25をチョイス) (ベースが大麻所持で逮捕されたとかなんとか)
もちろん、たろうも好きだった。
(し、特にKICK THE CAN CREWが好きで、14年間の活動休止を経て復活した時は本当に嬉しかった。)
(スペシャ特番の熊本での限定ライブにも当たって見に行ったし、去年のクリスマスイブは野郎2人でKICK見に行ったくらいには好き)
けど、心の奥底では、ギター・ベースヒーローになりたかったのだ。
テニスラケットをギターに見立てて掻き鳴らしていた中学時代。(黒歴史)
中2の冬、鋼の錬金術師のOP曲に、L'Arc〜en〜Ciel / READY STEADY GOが起用され、初めてリアルタイムで大好きなバンドを追う。
その間にも好きなバンドは増え、HYDEソロはもちろん、ASIAN KUNG-FU GENERATIONに出会ったのもこの頃かな。ハガレンのOP曲にリライトが起用された頃のお話。
ここまで書いて、まだアイドルのアの字も出てこないが、前編後編に分けちゃうと書くモチベーションも下がって更新しなくなりそうなので続けます。
高校に進学し、アルバイトをしたお金でギターを購入。
念願のギターだ。
目を輝かせたたろう少年が手にしてたのはアコースティックギターだった。
エレキじゃないんかーい!!!
父親に、ギターをやるならアコギからが良いぞ!と謎にそそのかされ、知識もないたろう少年は父親には逆らえず……。
その後、アルバイトを続けエレキギターも購入。今となってはアコギから入って良かったなと思っている。
幼馴染(♂)や、クラスメイトの家でギターを掻き鳴らす高校3年間。
簡単だからと勧められてコピーしたELLEGARDEN
何気なく見ていたCDTVのランキングに数秒間映ったBase Ball Bear
ラジオのパワープレイに選ばれて毎日のように耳にしていたストレイテナー
何故かブレイク後、消えかけそうな時に好きになったアンダーグラフ・HIGH and MIGHTY COLOR
当時、仲良かった女の子と話すために聴き始めたthe GazettE・アリス九號.
まだアイドルは聴いてない。
大学に進学し、念願のバンドサークルに。
まぁ某大学一浮いてると言われてたようなそうでないようなサークルで、かなりのクセ者揃いで、音楽的な知識も増え、一生付き合っていくであろう友人も出来た。
そんなサークルで、プレゼン飲みなる飲み会があり、
自分の好きなバンドを紹介しながら飲むというバンドサークルらしい飲み会がありました。
そこで先輩が紹介してくれた、そのときまだあまり認知されていなかった凜として時雨にハマり、翌日にはタワレコに走りCDを買いに行きました。
この凜として時雨との出会いが、後々のたろう青年の人生を狂わせることになりました。
(もちろん良い意味で)
大学時代はLUNA SEAのコピーバンドをサークル外をやっていたり、
サークルではストレイテナー、Do As Infinityはもう何度も。他にVAMPSや、2年時の学祭ではGLAYなんかもやらせてもらいました。
2年頭にやったDoping Pandaが楽しかったなぁ〜仲良い同学年3人集まって、ギタボに1つ上の先輩を迎え入れ、何が合うかな?って話して決まったバンド。
大学3年の頃に、カラオケに行った時に流れていた、AKB48のポニーテールとシュシュで、アイドルに興味を持ちました。
はい!やっとアイドルの話出てきたよ!!!
当時はバンドサークルにいたのもあって、聴かず嫌い、あまり興味が無かったのにも関わらず、tetsuyaの影響もあり、キャッチーなものが好きだった為、耳に残るアイドルは、偏見を取り払ってしまえば好みどストライクだったのだ。
そこからAKBにハマり、アルバムを借りて色んな曲を聴く。
(いや、ギターのメロがカッコ良いんですよホント、、、)
実家に戻ってて、大分に帰る電車の時間潰しで買った、総選挙関連の雑誌にメンバーのプロフィールが載っており、そこでたまたま同じ生年月日の子を見付け、、、
(佐藤亜美菜ちやん)
はい!どストライクです!!!
初めての"推しメン"が出来た瞬間でした。
推しメンと言っていいのか分からないレベルだが、あの大勢の中から誕生日が一緒で、顔も声もタイプの子を見付けて、アイドルがちょっと面白くなってきた頃、フライングゲットの全国握手会(福岡)がありました。
(しかもラルクの20thツアーの翌々日?とかだったかな。たまたま都合があって行った。)
人生初のアイドルとの握手
た「あっ好きです!応援してます!!!」
北原里英「ありがとう〜!名前はー?」
た「あっあっ、、、😗」
警備員「はい、次お願いします〜」
た「あっ、あっ、ありがとうございます!」
横山由依「😀?ありがとう〜?」
亜美菜じゃないんかーい!!!
そしてコミュ障かーい!!!
(全国握手会に臨んだものの、メンバーがランダム?で、推しメンの亜美菜はこの日いなかったという)
そんなこんなでアイドルにも偏見が無くなり(元々そんなに無かった)大学を卒業し、宮崎に戻り社会人として生活を送っていると、
凜として時雨のピエール中野がDJをしに宮崎に来ると!
大学時代に好きになって夢中になったバンドのドラムが!DJをしに!!!来ると!!!!!
もちろんピ様のDJも良かったんですが、別のDJさんが流していたでんぱ組.incに興味を持ち、帰ってすぐさまにYouTubeで検索しました。
所謂?電波ソングで、元々音ゲーをやっていたのもあって、曲に抵抗もなくすんなりとハマっていきました。
そして、YouTubeを見漁っていたら、水着でダイブするアイドル!?みたいな謳い文句の動画があり、、、
そうです。
たろうの人生を狂わせたBiSです。
こんなにカッコよく、心を奪われるアイドルがいるのかと。
曲が単純に好みだったのと、自分の想像していたアイドル像をぶっ壊すパフォーマンスだったり、活動の過激さ(100kmマラソンやハグ会)に衝撃を受け、気付いたらツアー鹿児島・熊本のチケットを取っていて。
たろうこの時、初めての1人遠征だったんですよ。
大分時代に友達と福岡にバスで行ったり、実家に帰るついでに宮崎でライブを見たりはあったんですが、知り合いもいない中1人で鹿児島・熊本に行きました。
(しかもメンバーが真冬にも関わらず車中泊ツアーをしていたので、たろうも何故か初の車中泊遠征)
2014年7月8日、当時お仕事をしていたテレビ局の先輩に、事情を話し平日にも関わらず休みを貰い、解散ライブを見届けに。
翌日、台風の影響で飛行機が飛ばず、陸路・海路を駆使し宮崎に戻りました。
(最後の最後まで人生狂わせられた…。)
BiS解散が決まった頃、解散企画として代表曲nerveをバンドやアイドルさんが踊って投稿する企画があったのですが、
そこで、
たろうの人生をまたしても狂わせるバンド
に出会ってしまったのです。
女性3人に女装したオッサンが1人いる(当時)
なんとも衝撃的なバンドで、その見た目とは裏腹に本当に良い曲を書くバンドで、、、
(この話は長くなりそうなので、また別の機会に)
そんなこんなで、BiS解散後、アイドルからは2年くらい遠ざかっていたんですが、
このバンドが本当に好きで、もっと知って欲しい!もっと盛り上げたい!という気持ちで、メッセージカードを集めたり、ツアーファイナルにフラスタを出したり、ファンの人らと交流を図ったり、、、
(この話は長くなりそうなので、また別の機会に) (2回目)
そんな感じでアイドルヲタクを完全に卒業?したかと思いきや、
BiSが復活!
いや、は???
BiSHだったり、GANG PARADEと、WACKのアイドルが活動しており、曲が好きなので聴いてはいたけど現場にはあまり行かなかったり、行ってもチェキを撮らなかったり。
でも、BiSとなったら話は別で完全にヲタ卒卒ですよ。はい。
(結局推しと呼べる子がおらず、今では熱も冷め切ってしまったんですが)
その、BiSのオーディションに落ちたメンバー3人が、GANG PARADEに加入。
そこに、後の推しとなるテラシマユウカがいたのです。
ゆゆは、元々BiSHのオーディションに落ち、渡辺淳之介推薦枠として新生BiSの合宿オーディションへ参加するも不合格。
救いの手を差し伸べられて加入したBiS公式ライバル・グループSiSも、お披露目ライヴ翌日に活動休止という、アイドルになるために踏んだり蹴ったりな数ヶ月を送ったメンバーで。
身長も高くゴツく、当時は本当に芋っぽくあまり興味が湧かなかったのですが、なんでしょうね。好きな子にちょっかい出したくなるじゃないですけど、少しずつ気になってき始めて、気付いたら「テラシマユウカしか!」になっていて。
そんなこんなでヲタ卒卒をし、BiSやGANG PARADEのライブに足を運ぶようになったのが去年の話。
大分で仲良くなったWACKのヲタクが、Chimoのりなちゃん推しで、りなちゃんの卒業ライブに一緒に行こう!と誘ってくれて、昨日のブログ(◎0909 - 背景、元気にしてますか?)に繋がるという訳です。
長い!!!!!
思い返してみると、人や音楽との出会い、色々なターニングポイントがあり、今に至り、こうやって推しや周りにいるヲタクと出会えたんだなぁ。と思うと感慨深い反面、他の選択をしていたら、また別のたろうがそこにはいたのかもなぁと。
そして、Chimo・Niimoを見てきて、地元のアイドルで活動が盛んということもあり、今までのどの推しと呼べる子よりも、期間は短いけれど、らんかちゃんと多くの時間を過ごしていることを改めて実感。
いつも他愛も無い話だったり、照れてまともに話せないこともあるけど、本当に日々の活力になっているし、大切な存在で。
紆余曲折?ありつつも、こうやって思える推し、グループ、そして一緒に応援できる仲間と出会えたのは、とても幸せなことなんじゃないかなって思います。
それでは。